貴方は人目・アクセスカウンター番目のお客様です。ようこそ!  編集・管理人: 本 田 哲 康(苦縁讃)

                   

 「何故か、考えさせられ、そして、安堵し癒されるのだ・・。」 そんなページを目指したい・・・・・。 
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 1 ”人生”について・・・ 「授かったこと
☆ これは、ニューヨーク州在大学病院の壁に落書きされて、そのまま残されていた詩である。
   じっくりと味わいたい深さと味わいがある。
     
            
大きなことを成しとげるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった
 
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして  
富みを求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
 
世の中の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
いのちを授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは
すべて叶えられた

私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ
 







すばらしい訳誌にであった。
残念ながら、出典は失念した。















【 原 詩 】
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED

I asked God for strength,            
    that I might achieve  
I was made weak,       
        that I might learn humbly to obey...
I asked for health,                
        that I might do greater things
I was given infirmity,     
           that I might do better things...
I asked for riches,                
      that I might be happy
I was given poverty,      
     that I might be wise..
I asked for power,               
        that I might have the praise of men
I was given weakness,   
        that I might feel the need of God..
I asked for all things,            
     that I might enjoy life   
I was given life,       
 that I might enjoy all things...
I got nothing         
    that I asked for      
  -- but everything I had hoped for       
Almost despite myself,               
    my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed !


AUTHOR UNKNOWN
管理人のつぶやき
 思いどおりに行かないことが多かった。
 失意ばかりが多かった。

 しかし、まれにだが、・・・・、
木漏れ日のように射し込んで、そこに
 垣間見える”希望”に励まされながら・・・。
 もう、ここまで来た。
 しかし、苦しみ、悲しんだだけ・・・・、その分、
 知らぬ間に心が研ぎ澄まされた。

私は、強靱になり”純”になったようにも思う。
 結論、『愚直』に生きてきただけのことである。
 しかし、愚直がよい。

 いま、過ぎ去ったつかの間の過去を振り返って、後ろめたさがない。
 まぁ、それで良しとしよう。

 誰もが通る道を歩んできたにすぎないが・・。

                  ・・・苦縁讃
                  
 「変わりながら、それによって  
   自己自身であり続ける人たちを私は讃える。」


 ・・・                       ・・・・
ベルトルト・ブレヒト (岩淵達治 訳)

 「長いこと合わなかった男に会って
   『全然変わっていらっしゃいませんね』と
      挨拶され「真っ青になった」女のことを、ブレヒトは書いている。
 人間は歳月と共に、状況と共に変わるもの。
 変わるのが正しい。
 ただ
  変わることによって「自己自身であり続ける」のが
        難しいだけなのだ。

                            <中日新聞 「けさのことば」 岡井 隆>
注:ベルトルト・ブレヒト (Bertolt Brecht、本名 Eugen Berthold Friedrich Brecht
 ベルトルト・ブレヒト(Bertolt Brecht、本名 Eugen Berthold Friedrich Brecht、1898年2月10日1956年8月14日)は、ドイツ劇作家詩人演出家。映画のシナリオやラジオ用の放送劇の台本も手がけている。
 ヘーゲルの提唱した弁証法マルクス主義の影響の元に、独自の演劇理論を生みだした。代表的な戯曲としては、クルト・ヴァイルが作曲した『三文オペラ』、『セチュアンの善人』(セチュアンは四川のドイツ語読み)、『肝っ玉おっ母と子供たち』、『ガリレオ・ガリレイの生涯』などが挙げられる。また、小説評論の分野にも多くの作品を残している。 
                            ・・・・ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 

そこで、以下の歌を思い出した。
高山(たかやま)と 海こそは    
  山ながら かくも現
(うつく)しく
海ながら 然真
(しかま)ならめ
 人は花物
(はなもの)
         うつせみの世人
(よひと)  
  
             ・・・ 
万葉集   作者未詳
山・海。
それぞれにそれぞれの形で、
真実であるが、
人間というものは
花のように移ろうものだ。
      ・・中西 進解説

この歌に驚いた。
実存主義的な哲学が存在していたことに驚いた。
山や海を尊重。自然尊重。

解説者は、以下に紹介します。
注:中西 進
 1929東京生まれ。 万葉集など古代文学の比較研究。日本文化全体像を収めた研究評論活動。
 著書に「聖武天皇」「万葉歌人の愛そして悲劇」「中西進と歩く万葉の大和路」大阪女子大学長を経て、現在帝京大学塚山学院学院長、奈良県立万葉文化館長など歴任。
 水鳥の 行くも帰るも  跡たえて          
       されども道は  忘れざりけり        道元
 
      帳けし
 昔から
 さまざまな しくじりを
 帳けしして
      いただいて
 こんにちの私が
    ここにおる。

         ・・・  
榎本栄一
     無 終

 ここが 終わりかと  
      おもうたら
 また 道がひらける
 これからさきは
   果てしれず
        ・・・・ 榎本栄一
 ◇ いろはにほへと・・・・・ ◇       管理人の解釈
 いろは にほへと ちりぬるを
 色は匂えど 散りぬるを
 あの人この人、あの山この河・・・・。すべての現象は無常である。色とはこの世の存在するすべてのもの。
 花がやがて散るように、それらは生まれ生まれて、・・・、やがて消え、世界は常に変わり移ろいでいる。
 わかよ たれそ つねならむ
 我が世 誰そ 常ではない
  ”我が人生”・・・だって?!
 「自分の・・」なんて、有るのかな?すべてが、宇宙のすべてに関連し、作用されて変化している。
 自分も貴方も、・・・・、誰も皆、刻々と変化してやまない・・いのち。
 ”今!”を意識した瞬間に、次の”いま”が過ぎ去る。
 うゐの おくやま けふこえて
 有為の 奥山 今日超えて
 何やかやと、志向しながら、幾山河を越えながらの人生を経て、今、此所に至った。
 ささやかな夢と希望に支えられて、今日も、今も、・・・・、また、過ぎ去る。
             (あの時、途方に暮れて泣いた涙は・・・、何だったんだろうか?!)
 果てしなく、旅人が山々を越えて行くように・・。
 あさき ゆめみし
 浅き 夢 見し
 (想えば)浅はかな夢であることよ。 その夢を追って、お互い日々の人生をおくっている。
 えひもせす ん      注:”ん”のこと・・・・後で付け加わったという説がある。・・だが、有ってもよい。そう思う。
 えひもせず   吽(うん)
 世界は、神仏の御心(みこころ)のまま。  「如何でしょうか」だって?! ままよ!
 そんなもんだよ!!! 一人 ひとりの 人生なんて・・・・。 自身のこころに問うしかないサ。
 心の奥に鎮座する仏の御心に、阿吽
(あ・うん)の呼吸でもって、叶いたいものだ。 応えたいものだ。
 それ
(神・佛の御心)は、我々のような凡夫の思量・計算や言葉を超えたところにあるようだ。
  2009年だったか?? ダークマターが存在することが科学的に証明された。 96%がダークマター(未知の何か)である。 
 今まで、私たちは宇宙に存在する物質(星達)の4%を、認知しようとしていたに過ぎないと言うことが解った。物質の存在の4%のみであった。
 日頃、私達は「夫(妻OR親)として何点ですか?」などと、自分たちの人生をふり返っていた。 だが、この尺度がまったく違っていたと言うことであった。(これは、おそらくしばらくの間、我々の生活には馴染まないことともう) 「100点満点で、得意になって我が身をふり返るな!」と言うことなんです。
 人間の能力は、・・・・、天才はいざ知らず、・・・・、4点満点でしかない!!と言うことだ。 地動説が天動説に代わったのが400年前であった。
 しかし、やっと、この頃になって日の出と入り日を見て、人は「自分を中心に太陽は毎日廻っている。」などとは思わなくなった。
 作詞作曲   小椋 圭 
♪  昭和61年  ♪
1 雨 潸々(さんさん)と この身に落ちて
  わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
  人は哀しい 哀しいものですね
  それでも過去達は 優しく睫毛に憩う
  人生って 不思議なものですね

2 風 散々
(さんざん)と この身に荒れて
  思いどおりにならない夢を 失くしたりして
  人はかよわい かよわいものですね
  それでも未来達は 人待ち顔して微笑む
  人生って 嬉しいものですね

3 愛 燦々
(さんさん)と この身に降って
  心密かな嬉し涙を 流したりして
  人はかわいい かわいいものですね
  ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
  人生って 不思議なものですね

  ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む
  人生って 嬉しいものですね 
 
 
  来し方行く末 1預言の書  より 
  われこそは世界の中心であるかのごとくつね日頃は思いこんでいる人間は、ひとたび、無限絶対なる者の輝きにふれたとき、
かつて抱いていた一切の自己讃美を喪失し、無限絶対の距離を無限絶対の者との間に感じとる。・・・ が、それを感じたとき
−言いかえれば、偽りなき自己認識をはっきりと感じたすべての者は、ただちに絶対者からの使命を受取る。
 新訳に入ってからのペテロやヨハネに使命の与えられたときも同じである。 (ルカ 五ノ4ー10)
 旧約聖書物語 増訂版 犬飼道子 新潮社
     
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